東京高等裁判所 平成7年(ネ)829号 判決 1995年12月26日
控訴人・附帯被控訴人 株式会社三和銀行
右代表者代表取締役 枝実
右訴訟代理人弁護士 小沢征行
秋山泰夫
藤平克彦
香月裕爾
香川明久
露木琢麿
被控訴人・附帯控訴人 島田豊
右訴訟代理人弁護士 根本良介
主文
一 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人の請求及び附帯控訴を、いずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、第二審を通じ、被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求める裁判
一 控訴人・附帯被控訴人(以下、「控訴人」という。)
1 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 附帯控訴棄却
4 訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。
二 被控訴人・附帯控訴人(以下、「被控訴人」という。)
1 控訴棄却
2 原判決を次のとおり変更する。
(主位的請求)
(一) 控訴人は、被控訴人に対し、金五五〇〇万円及びこれに対する平成五年四月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は、第一、第二審とも、控訴人の負担とする。
(三) 仮執行宣言
(予備的請求)
(一) 太平石井鉄工有限会社が控訴人に対してした原判決別紙弁済目録≪省略≫記載の弁済を取り消す。
(二) 控訴人は、被控訴人に対し、金五五〇〇万円及びこれに対する平成五年四月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は、第一、第二審とも、控訴人の負担とする。
(四) 仮執行宣言
第二事案の概要
銀行業務を行っている控訴人は、顧客である被控訴人から所有建物の建替えの相談を受け、それに併せて建設のための融資と、建設業者の紹介を依頼されたので、控訴人の融資先の建設業者である訴外太平石井鉄工有限会社(以下、「石井鉄工」という。)を被控訴人に紹介して請負契約を斡旋したうえ、被控訴人が石井鉄工の口座へ振り込んだ契約着手金五五〇〇万円を同社に対する融資金及び同社の代表取締役である石井喜一郎(以下、「喜一郎」という。)に対する貸付金の回収として処理したところ、石井鉄工が工事途中で倒産した。そこで、被控訴人が、控訴人に対し、控訴人の債権回収行為が主位的には不法行為(詐欺)ないし不当利得に該当するとして、契約着手金相当額の損害の賠償ないし不当利得の返還等を求め、予備的には詐害行為に該当するとして、これを取り消し、振込金相当額の自己への支払を求めて提訴した事案である。
一 争いのない事実等(争いがある事実は、括弧内の証拠により認める。)
1 被控訴人は、銀行業務を行う控訴人押上支店(以下、「控訴人支店」という。)と長年にわたっての銀行取引関係にあった。
2 被控訴人が、平成三年秋頃、自宅兼事務所として使用していた鉄骨造三階建ビルを賃貸ビル(以下、「島田ビル」という。)とする建替計画を控訴人支店の外交員に話したところ、同人から報告を受けた控訴人支店の支店長代理小田桐敏之(以下、「小田桐」という。)が、被控訴人宅を訪れ、被控訴人の妻島田益子(以下、「益子」という。)から建替計画の内容を聞き、それに基づいて知合いの一級建築士長藤俊之(以下、「長藤」という。)に四階建の自宅兼事務所の建築図面(延床面積五三五・〇一平方メートル)及びそれに基づく事業計画書を作成して貰い、それを被控訴人に届けた。その計画は、一旦は、被控訴人の判断で中止された。
(延床面積について、≪証拠省略≫)
3 小田桐は、平成四年春頃、喜一郎の長男であり、石井鉄工の取締役で、かつ、ビル管理等を事業目的としている訴外陽光土地建物株式会社の社長である石井義人(以下、「義人」という。)から、同行を依頼され、義人及び長藤と同行して、被控訴人及び益子と面会し、義人を控訴人支店の取引先である石井鉄工の社長の長男として紹介したが、その際には、石井鉄工の会社内容等については説明をしなかった。
被控訴人は、島田ビル建設に余り乗り気ではなかったが、その後、義人及び長藤が日参したため、被控訴人、益子、長藤、義人の間で、賃貸ビルとして採算が取れるよう島田ビルの建設変更について話合いが重ねられ、鉄筋コンクリート造六階建ビル(延床面積六二三・四二平方メートル)を建築することとなり、その建築費(旧三階建て建物の解体費用を含む。)一億七〇〇〇万円のうち、一億五〇〇〇万円を控訴人支店からの融資により賄うこととされた。その融資については、小田桐や、控訴人支店の支店長席で、被控訴人担当の渡邊浩二も確約した。
また、渡邊は、平成五年二月頃、益子から節税効果等についての説明を受けるための税理士の紹介を依頼され、訴外田尻吉正税理士を紹介した。
(中段の事実について、≪証拠省略≫、証人益子)
4 被控訴人は、平成五年四月二一日、石井鉄工との間で、請負代金額一億七〇〇〇万円で島田ビルの建設工事請負契約(以下、「本件契約」という。)を締結し、同月二七日、本件契約に基づいて、控訴人支店にある石井鉄工の預金口座に着手時支払金として五五〇〇万円(以下、「本件振込金」という。)を振り込んで支払った。
5 ところで、控訴人は、かねてより、石井鉄工に融資をしており、その融資残高は、平成二年一二月末現在で一億〇二九〇万円、平成三年一二月末現在で一億六九〇〇万円、平成四年一二月末現在で二億一〇八〇万円であった。
また、控訴人は、石井鉄工の代表取締役である喜一郎に対しても、昭和六二年七月頃九億七二一〇万円の、昭和六三年一一月頃一億七〇〇〇万円の貸付をしていた。
6 控訴人の石井鉄工に対する融資については、喜一郎が墨田区太平二丁目に有する土地建物に極度額一億円の根抵当権を設定しており、また、控訴人の喜一郎に対する貸付については訴外三和信用保証株式会社の保証がされたうえ、同社の喜一郎に対する保証委託契約に基づく求償権につき同土地建物に抵当権が設定されていた。なお、石井鉄工自体は、担保とすべき資産を有していなかった。
7 控訴人支店は、本件振込金について、石井鉄工との予めの合意に従い、振込当日、口座振替手続を行って、石井鉄工に対する融資金の元利金弁済として四一六五万〇九四一円の、喜一郎に対する融資金の弁済として一二〇〇万円の、それぞれ充当(以下、「本件弁済充当」という。)をした。
8 ところが、喜一郎は、平成五年七月八日に脳梗塞で倒れ、御茶ノ水病院に入院し、義人が資金繰を担当していたが、同月二四日か二五日に義人が突然行方不明となり、石井鉄工は、同月二六日額面一二二七万円余の支払手形につき第一回目の不渡りを、同年八月三日額面一〇〇万円の支払手形につき第二回目の不渡りを出し、事実上倒産した。
9 島田ビル工事は、平成七年七月二七日、基礎工事未了のまま中断し、放置すれば隣地に対し著しく危険な状態にあったため、被控訴人は、石井鉄工との請負契約を合意解除し、放置された基礎工事出来高部分の所有権が被控訴人に所属することを認めさせた後、自費で基礎工事を完了し、次いで、平成六年四月一九日、訴外青柳建設株式会社との間で、一部設計を変更したうえ、島田ビルの建設請負契約を代金一億二八七五万円で締結し、同社の工事により完成させた。
なお、工事中止の段階までの石井鉄工の出来高は、二二〇五万七二〇八円であった。
(右9の事実について、≪証拠省略≫、証人益子)
二 争点
1 不法行為について
(一) 控訴人支店が多額の債務を抱えている石井鉄工を被控訴人に紹介したことに関して
(1) 債務超過の経営状況にあった事実を被控訴人に告げないことのほかに、石井鉄工が信頼できる建設業者であると言って被控訴人を信頼させたか。また、これらは欺罔行為と言えるか。
(2) 控訴人の石井鉄工に対する貸付金を回収する目的をもって本件契約を締結させたか。
(二) 本件弁済充当当時、控訴人において石井鉄工の倒産を予測することが可能であったか。
2 不当利得について
(一) 被控訴人が石井鉄工に支払った着手時支払金は、島田ビルの建築資金として支払われたものであって、その金以外に建築資金を有しない石井鉄工から同社及び喜一郎に対する融資金の弁済を受けたことは、背信的な資金の流用にほかならず、同額の利得を得たことになるか。
(二) 本件弁済充当は、法律上の原因なくして、控訴人が悪意により利得を得たことになるか。
3 詐害行為について
本件弁済充当が被控訴人の石井鉄工に対する損害賠償債権の行使を害することを石井鉄工及び控訴人は知っていたか。
4 被控訴人の請求額について
被控訴人の被った損害額が五五〇〇万円であるか。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 前記当事者間に争いのない事実と、証拠(≪省略≫、証人益子、同渡邊、同村瀬、同千村、被控訴人本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 益子は、本件契約締結前、石井鉄工に建設能力があるかどうか心配だったので、渡邊に数回確認したところ、渡邊は、具体的な説明はしなかったものの、仕事内容は大丈夫だが経営内容は分からないと答えたほか、小田桐が紹介した業者であるから大丈夫だろうと答えたため、被控訴人側では、石井鉄工の建設能力や、経営状況に疑いを抱かなかった。
なお、渡邊は、当時、石井鉄工の経営状況については詳しくは承知していなかったものの、控訴人支店と石井鉄工との取引関係は良好な状態にあるものと認識しており、石井鉄工の経営状況については大丈夫だと認識していた。
(二) 義人は、自分の経営している陽光土地建物株式会社がアパート経営をしていて不動産収支の計算に明るいところから、平成四年一一月二五日、「島田ビル建築計画」なる書面を作成してこれを被控訴人に示して、ローン返済を三〇年にすれば採算が合うと被控訴人を説得し、被控訴人も、右計画の実施により税務対策にもなりそうであり、ローン返済が可能であれば前向きに検討する意思となった。
(三) 益子は、渡邊に対し、石井鉄工が作成した簡単なマンション賃料及び収支計算書を渡し、収支の計算、税務上のメリットについての説明を求めたが、渡邊は、税務の知識がないことを理由に説明できない旨答え、益子の税理士の紹介依頼を受けて、田尻税理士を紹介することとなり、益子から渡されていた収支計算書等を田尻税理士に渡して検討を依頼した。
平成五年二月一二日、被控訴人、益子、田尻税理士は、島田ビル建築計画書に基づき、その見通し、問題点等について検討し、田尻税理士は、節税効果のあることを説明した。渡邊も、その際には、同席をしていたが、税務上のメリット等については特段の意見は述べなかったものの、ローン金額、金利、期間等について検討資料を提出した。
右の話合いの結果、被控訴人としては、島田ビルを建築すれば税務対策としてのメリットがあることは理解できたが、控訴人支店が島田ビル建築計画書どおりのローン返済を前提とする融資を認めてくれるかどうかについて不安があったため、渡邊を通じて控訴人支店の融資の見通しを確認したが、金利が上昇した場合の支払の見通しについて義人の説明と、渡邊の説明とが食い違っていたため、建築計画の実行は困難と判断して、その中止を義人に伝えた。
(四) ところが、同年三月末頃、控訴人支店の当時の支店長千村設(以下、「千村」という。)が突然被控訴人を訪れ、被控訴人がローン返済の見通しの関係で島田ビル建築計画の遂行に消極的となっていることについて、融資担当者を差し向けて前向きに検討したい旨を伝え、被控訴人に融資金の返済条件について相談に乗り、協力する用意がある旨を伝えた。
被控訴人は、同年四月五日頃、千村の意向を受けて訪問した控訴人支店の融資課長村瀬忠清(以下、「村瀬」という。)から、具体的な返済計画書を示されて、控訴人支店が融資協力をしてくれるのであれば、間違いなしと判断し、同月二一日、石井鉄工と本件契約を締結するに至った。
もちろん、被控訴人は、石井鉄工が建設工事途中で倒産するに至る可能性があることを認識していれば、本件契約の締結を回避した。
(五) 被控訴人は、同月二七日、石井鉄工の依頼に基づき、被控訴人名義の定期預金を解約して作った五五〇〇万円を本件請負工事の着手金として控訴人支店の石井鉄工の当座預金口座に振り込んだ。
控訴人支店は、石井鉄工とのかねてからの打合せに従い、本件振込後直ちに、石井鉄工に対する融資金元本として四一三〇万円、右関係利息として三五万〇九四一円、喜一郎に対する融資金元本として一二〇〇万円の合計五三六五万〇九四一円の本件弁済充当を実行した。
被控訴人は、本件振込金が被控訴人支店の石井鉄工又は喜一郎の借金の弁済に当てられることを認識していれば、着手金の支払を別の方法によったはずであった。
(六) ところで、石井鉄工は、昭和六一年度から繰越欠損を計上するようになっていたものの(未処理損失は、平成二年度が二億〇九一四万円余、平成三年度が二億二三九八万円余、平成四年度が二億二七九〇万円余である。同年度末の大口の債権者は、控訴人の二億一〇八〇万円、太平洋銀行の二億三五八七万円余、大東信用金庫の二二七〇万円、東京建設信用組合の二〇五〇万円であった。)、平成二年から平成四年にかけて従業員七ないし八名で、年間四、五箇所の建築工事を請け負い、年間三億六〇〇〇万円ないし五億七七〇〇万円の完成工事高の売上を挙げていた。
しかし、石井鉄工の平成四年度の決算報告書には、倒産した太平建設株式会社に対する受取手形四〇〇〇万円、前渡金一億三七三〇万円余、倒産したダイソーホームサービス株式会社に対する受取手形二三五九万円余が計上されているほか、未だ契約締結に至っていない被控訴人との島田ビル建築請負契約が仕掛工事として一億六五〇〇万円として計上され、また、売掛金として計上されている四〇六二万円余の内の多くは、平成二年度にも計上されていて、殆ど回収不能であり、石井鉄工の実質的な損失は、六億円を超えていた。
しかも、石井鉄工は、平成四年度末当時、支払手形一億五八五〇万円余、買掛債務四二六二万円余の債務を負っていたところ、現金預金は一二五三万円余にすぎず、受注していた請負工事も代金の小さなものにすぎなかったから、大規模な請負契約の締結がなければ、支払手形の決裁、買掛債務の支払も、年間約一五〇〇万円の一般管理費、年間二三〇〇万円を超える金利負担もできない状況にあった。
(七) 石井鉄工の主力銀行は、かっては太平洋銀行であり、支払手形は同行の手形帳によっていたが、同行は、石井鉄工の担保余力の不足を理由に追加融資に応じてくれなくなり、平成三年頃からは、資金繰等を控訴人支店が協力するような状態となっていた(このことは、石井鉄工の決算報告書中の、太平洋銀行からの借入金(平成二年度末が二億三二二七万円余、平成三年度末が二億三八七七万円余、平成四年度末が二億三五八七万円余)の推移、預貯金(平成二年度末が五三七三万円余、平成三年度末が二〇〇万円余、平成四年度末が一万円余)の推移と、控訴人支店からの借入金の増加から明らかである。)。石井鉄工の太平洋銀行に対する利息の支払も、平成四年四月から遅滞する状態となっていた。
また、石井鉄工では、平成五年三月頃には、控訴人支店での預金も一〇〇万円程度となり(その頃、定期預金も解約していた。)、翌月以降は預金額が一〇万円を下回ることもある状態となっていた。
(八) 控訴人支店は、石井鉄工の決算報告書の提出を受けて決算の内容を把握するほか、石井鉄工との取引について毎月の集計をしていたので、石井鉄工の経営状態については、ある程度把握していた。
控訴人支店は、平成四年一一月下旬頃、喜一郎から島田ビル建築請負の受注の可能性が高いとの報告を受けていたので、契約締結による弁済を期待し、石井鉄工との間で、被控訴人から支払われる着手金については、融資金への返済に充てることを合意して、平成五年一月二六日に二五七〇万円、同年三月一六日に七五〇万円、同月二六日に二〇〇〇万円、同年四月一二日に三一八〇万円(従前の貸付の借替)、同月二六日に三〇〇〇万円、同年五月二六日に二八〇〇万円、同年六月二八日に七〇〇万円の融資をした。これら融資のうち、一月二六日の二五七〇万円、三月二六日の二〇〇〇万円、四月二六日の三〇〇〇万円、五月二六日の二八〇〇万円、六月二八日の七〇〇万円は、いずれも債務として、現在まで残っている。
また、太平洋銀行も、控訴人支店が融資して支援していることから、平成五年三月に二八〇〇万円、同年五月に一〇〇〇万円の融資(ただし、うち三四〇万円は仮受金として留保していた。)をした。
石井鉄工は、これらを現金又は小切手により引き出し、支払手形の決済資金や、管理費に充てた。
なお、石井鉄工では、請負工事の受注に努力していたが、平成五年五月頃には、受注していたのは島田ビル建築だけであり、これまでの業績から考えて、島田ビルの建築請負だけでは、損失が増加することが見込まれていた。石井鉄工では、このほか、請負代金二億一〇〇〇万円の中村ビル建築の請負契約締結のための努力を重ねていたが、同年五月頃中旬までは成約の可能性があったものの、同年六月頃には、受注の見込は薄くなっていた。喜一郎は、控訴人支店に資金繰の要請のために足繁く来店していたから、控訴人支店では、成約の可能性の有無等についても、判断できる状況にあった。
(九) 石井鉄工は、被控訴人からの島田ビル建設の受注ができ、工事に掛かったものの、基礎工事未了の段階で倒産したため、被控訴人において、青柳建設株式会社に事後の建築を依頼して、一部設計を変更して島田ビルの建築を完成させた。
石井鉄工の倒産時の出来高は、二二〇五万円余であったが、石井鉄工は、この工事に関する下請業者への請負代金の支払をしていない。
(一〇) 控訴人支店は、平成五年六月二九日に東京都江戸川区松江二丁目三七六五番一(喜一郎と富田きよ子の共有)、同番四(喜一郎所有)、同番五(石井義一と石井かず江の共有)の各土地及び同番地所在の店舗(家屋番号八四二番。喜一郎と富田きよ子の共有)について、極度額一億円、債務者石井鉄工、根抵当権者控訴人とする根抵当権設定登記を経たほか、喜一郎の了解を得て、同人が所有する墨田区太平二丁目三番地二、同番地一六所在の店舗・事務所・倉庫・共同住宅から月間七〇〇万円の家賃収入が入ってくる喜一郎の個人の預金口座を凍結した。
2 被控訴人は、石井鉄工が信頼できる建設業者であると言って被控訴人を欺罔した旨主張する。
確かに、前記認定のように、渡邊は、益子の質問に対し、経営内容に対しては直接の回答を避けたものの、小田桐が紹介したのだから大丈夫であろうと回答しており、被控訴人側は、その回答をもって、石井鉄工の、建設能力、経営状況について疑いを抱かなかったこと、控訴人支店の関係者の一連の行動により、被控訴人が石井鉄工に島田ビルの建築を依頼しても、完成に至るものと信じて本件契約を締結したこと、また、石井鉄工の建築続行能力に疑いがあることの告知を受けていれば、被控訴人が本件契約締結を回避したであろうことも前記認定のとおりであるが、以下に述べるように、当時としては、控訴人支店が石井鉄工の倒産を予測しておらず、資金繰に困った場合には融資を継続する意思を有していた段階であったから、金融機関の従業員に顧客の経営状態についての守秘義務があるか否かを問題にするまでもなく、この程度の控訴人支店の担当者の発言を欺罔行為に該当すると言うことはできない。
3 被控訴人は、控訴人支店が融資金の回収を図る目的で積極的に本件契約を締結させることを意図し、建築続行能力のない石井鉄工を信頼できる企業であるとして被控訴人に紹介し、被控訴人を信頼させて本件契約を締結させたもので、その一連の行為が不法行為に該当する旨主張する。
確かに、前記認定の石井鉄工の経営状況に鑑みれば、石井鉄工は、控訴人支店あるいは太平洋銀行からの融資が停止されれば倒産必至の状態にあったことは客観的に明らかであり、渡邊や、小田桐は別として、控訴人支店の幹部がその事情を知っていたことも容易に推認できるが、本件契約締結の直前頃、控訴人支店の関係者が、石井鉄工が島田ビル建築途中で倒産するに至ることを予測していたことを認めるに足りる証拠はない。かえって、右認定のとおり、本件契約締結後も、控訴人支店及び太平洋銀行が石井鉄工に融資をしている事実に鑑みれば、控訴人支店関係者は、石井鉄工の経営の悪化を認識していたものの、島田ビル建築請負工事その他の請負契約の締結により、石井鉄工の再建が可能で追加の貸付金の回収も可能なものと認識していたものと推認するのが相当である。そうすると、控訴人支店が融資金の回収を図る目的で本件契約を締結させることを意図していたとは認めることができないから、この点の被控訴人の主張も理由がない。
4 被控訴人は、本件弁済充当当時、控訴人支店が石井鉄工の倒産を予想することが可能であった旨主張する。
確かに、本件弁済充当当時、石井鉄工の預貯金はほとんどなかったものの、太平洋銀行の融資額(合計三八〇〇万円。一部三四〇万円は、太平洋銀行に保留)と、七月二六日及び八月三日の不渡額(一三二七万円余)に鑑みれば、本件弁済充当がなければ、右不渡りの発生を回避することが可能であったと窺われないでもない。しかし、本件弁済充当がなくても、控訴人支店又は太平洋銀行から事後の融資が続かない限り、石井鉄工は、本件振込金を支払手形の決済や、管理費のために費消し、島田ビルの建築のために回る余地のある資金は極く僅かであり、早晩倒産に至ることは明らかな状態にあった。控訴人支店も、融資をしてもその回収ができないことが明白な段階に至っていれば、融資を中止することも金融機関として当然のことであり、石井鉄工の経営状態からすると、控訴人支店としても、石井鉄工への融資を何時まで続けるのか微妙な判断時期に達していたことも明らかである。しかも、石井鉄工においては、平成五年に入ってからは本件契約締結に至るまで手持の受注工事がなかった状態が続いていたから、本件契約締結がなければ倒産必至の状態にあった。また、石井鉄工のこれまでの営業実績から判断すると、同社の年間受注工事が本件の島田ビル建築に留まる場合には、資金繰に窮し、倒産に至ることも明らかであり、このような状態にあることは控訴人支店も十分認識していたと推認される。
しかし、本件弁済充当当時は、本件契約が締結された直後であり、また、予定額二億円の中村ビル建築請負工事の受注も見込まれていた段階にあったから、控訴人支店が石井鉄工の倒産を予想し、融資をしてもその回収が困難な状況にあったと判断していたとは認め難い。前記認定したとおり、本件弁済充当後も、控訴人支店は五月二六日に融資をしているし、太平洋銀行も五月に融資をしており、これは、石井鉄工の倒産を予想していなかったことを推測させる。なお、本件弁済充当の結果、被控訴人の支払った着手金が工事のために使用されないことにより島田ビル建設工事の遂行が不可能になることを控訴人支店において認識していたものとも認めるに足りない。
5 本件弁済充当行為は、控訴人支店が石井鉄工に対して既に弁済期の到来している債権を有していた以上、当然の行為であるから、控訴人支店において本件弁済充当の結果島田ビル建設途中に石井鉄工が倒産し、被控訴人が損害を受けることを承知しながら、そのような結果の発生を容認していた等の特段の事情の存在が認められない限り、本件弁済充当行為の効力を否定することはできないものであるところ、右に述べたように、控訴人支店としては、石井鉄工の倒産を予測していたとは認められないから、右の特段の事情の存在を認めることができない。
そうすると、本件弁済充当行為が不法行為に該当するものと認めることはできない。
6 ところで、前記認定の石井鉄工のこれまでの業績から見ると、石井鉄工では、島田ビルの建築請負の受注だけでは経営維持ができないことは明らかであり、受注に努力していた中村ビル建築請負契約の締結が成立しなければ、早晩倒産に至ることは必至であったところ、前記認定のとおり、平成五年六月頃には、成約の見込が薄くなっており、その事情を控訴人支店も把握していた。
控訴人支店が同月末に至って、喜一郎の個人名義の預金口座を凍結したり、江戸川区松江二丁目の土地建物に極度額一億円の根抵当権を設定したのも、時期から見て、そのような事情を考慮した結果であると推認され、六月二八日の融資も、それを履行しなければ翌二九日の根抵当権設定登記を得ることができなくなるため、その点についての配慮による疑いもある。控訴人支店が把握している石井鉄工の営業状況(特に、島田ビル建築請負以外の受注成約に至る見込が薄かったこと)、資金繰状況(特に、預貯金は殆どなく、売掛債権の回収の見込もなかったこと)に鑑みれば、控訴人支店も、その頃には、石井鉄工の倒産の可能性が高まったことを認識していたものと推認されるからである(その頃、控訴人支店内で石井鉄工倒産の場合の影響について話題となったことがある旨の≪証拠省略≫も、それを裏付ける。)。
証人村瀬及び同千村の証言中や、≪証拠省略≫の記述中には、喜一郎の預金を凍結したのは喜一郎の要望によるものであり、一億円の根抵当権設定登記も、相続手続処理が遅れたことによりこの時期に行われたものである旨の部分がある。しかし、仮にそのような事情があったとしても、当時資金繰に窮していた喜一郎が簡単に預金口座の凍結に応じたものとは認め難く(不渡金額からして、預金口座の凍結をしていなければ石井鉄工も、少なくとも七月二六日及び八月三日の不渡りを回避できた可能性も窺われる。)、控訴人支店関係者による説得や、事後の控訴人支店からの融資の実行を期待して、喜一郎が預金口座の凍結や、根抵当権設定登記に応諾したものと推認するのが相当であり、喜一郎の承諾の下に同人の預金口座の凍結や、一億円の根抵当権設定登記が行われたとしても、控訴人支店が六月末頃には、石井鉄工の倒産を予測していたとの推認を覆すものではない。
右の推認によると、控訴人支店は、遅くとも平成五年六月末頃には、石井鉄工の倒産の可能性が強いことを予測していたものと言えるが、石井鉄工の資金繰に関する融資に応じることを継続していれば、石井鉄工の倒産は避けられる状況にあったから、控訴人支店に融資の意思があったと認められる本件契約締結当時や、本件弁済充当時に、控訴人支店が石井鉄工の倒産を予測していたと認めることはできない。
7 そうすると、本件契約締結に至る控訴人支店関係者の一連の行為を捕らえても、控訴人が不法行為責任を負うべきものと認めることはできないし、本件弁済充当行為を不法行為に該当するものと認めることはできない。
二 争点2について
1 石井鉄工が控訴人支店からの融資を得なければ経営の維持ができない状況にあったことは前記のとおりであるが、前記認定のとおり、融資の継続の意思を有していた控訴人が、石井鉄工との予めの約束に基づいて本件弁済充当をしたことは、当然の権利行使であり、何ら不当な行為ではないことは明らかである。
2 そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の不当利得の請求は理由がない。
三 争点3について
1 被控訴人は、本件弁済充当行為が詐害行為に該当すると主張している。
石井鉄工が本件弁済充当について予め合意をしていたのは平成四年一一月末頃であり、本件弁済充当が現実に行われたのは本件振込が行われた平成五年四月二七日であるが、石井鉄工としては、当時、控訴人支店から継続して融資を受けていた状況にあり、本件弁済充当後も控訴人支店からの融資を受けられるものと期待していたことが窺われるから、石井鉄工が本件弁済充当により、被控訴人の債務不履行による損害賠償権を侵害するに至ることについて認識していたものと認めることはできないし、また、控訴人も、当時としては、融資を継続する意思を有しており、石井鉄工の倒産を予測していなかったから、本件弁済充当が被控訴人の権利を侵害するものと認識していなかったものと認められる。
2 そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の詐害行為の主張は理由がない。
第四結論
よって、被控訴人の本訴請求は理由がないから、これと異なる原判決を変更し、被控訴人の請求及び附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 野田宏 裁判官 田中康久 森脇勝)